猫のダヤン

「ダヤン、生まれる」

外はいつの間にか、ザアザアとどしゃぶりの雨になっています。
ビカァーッとすごい稲光が走った瞬間、スルリと子猫が生まれました。
「7月7日、11時ちょうど」時間を確認するのがくせのジョンは、パジャマのポケットから懐中時計を引っぱりだして、そう宣言しました。
薄い膜に包まれた子猫をトムはなめてなめてなめまわし、へその緒が切れると、子猫ははじめてミャアと鳴きました。
それから1時間ほどの間に、子猫がもう2匹生まれました。
生まれたばかりの子猫は、目をいっぱいぎゅうっとつむり、耳は顔に貼りついて、新しい環境にそなえて、内なる守りを固めているかのように見えます。
いちばん初めに生まれた子猫は、黄茶がところどころに入ったグレイのしま猫で、2番目は茶色のとらしま、3番目はトムと同じような三毛猫でした。
「かわいいね」
「ねんて名前にしましょう」
「ちょっと待った」ジョンは子猫をひょいとつまみあげて、手のひらにのせました。
「トム、ちょっと借りるよ。またママが女の子にベンジャミンなんて付けかねないからね」ジョンはそうっと子猫の後ろ足の間をのぞきこむと、がっかりしたように言いました。
「あれれ、みーんな男の子だよ」
「ねっ。1番初めの子はダヤンよ」リーマちゃんがきっぱり言ったので、パパもママもちょっとびっくりしてしまいました。
「あら、早いわね。もう決めていたの?」「どうしてなんだい?」
「どうしてかわかんないけど、さっき稲光が光ったとき「ダヤン」っていう声が聞こえたの」
「へえ、稲光が名付け親か。それもいいね。じゃあ、ダヤンに決まりだな」
「あとの2匹は?」
「まったく聞こえなかったわ」リーマちゃんがまじめくさってそう言うので、ジョンとサラはおかしそうに顔を見合わせました。
「ジュダはどう?」
「カシスはどうかしら」
ジョンとサラが同時に言いだして、2番目がジュダ、3番目がカシスに決まりました。
「さあ、今夜はもう寝ようや。子猫たちも寝なきゃね」
「トム、おつかれさま」「リーマもおやすみ」パパとママが出ていくと、リーマちゃんはそっとダヤンに言いました。
「ダヤン、おやすみ。きっとあんたは特別な猫よ。だって、風も雨も稲妻も、みーんなあんたの生まれるのを見にきたんだもん」

「3匹の子猫」

そのうちに子猫たちの行動範囲はさらに広くなり、居間の出窓の隅にこしらえてある猫窓が、再び開けられました。子猫たちが小さいうちは、あぶないので猫窓は閉めていたのです。
サラは子猫が家に戻るとき、飛び上がりやすいように小さな箱を猫窓の下に置きました。
子猫たちはトムに連れられて、猫窓から庭に飛び降り、まだ柔らかい肉球ではじめての大地をふみしめました。トムはひなたぼっこをしながら、子猫たちの様子を見守っていました。
「おかあちゃん、このピョンピョンはねるものはなあに?」ジュダが聞きました。
「はね虫さ。かむと苦い汁がピュッとでるよ」トムは答えました。
「おかあちゃん、このブンブン飛ぶものはなあに?」カシスが聞きました。
「とび虫さ、かむと羽がカシャカシャっていうよ」
ジュダとカシスは、はね虫ととび虫を追いかけて跳ねまわりました。
ダヤンはどうしているのかしらとトムが見ると、ダヤンは目を丸くして空を見上げ、流れる雲をつかまえようと、手を伸ばしているところでした。
「おかあちゃん、あのふうわりしたものはなあに?」
「あれは雲だよ、とおくてとてもつかまえられないよ」
「おかあちゃん、なにかがおひげをひっぱる」
「それは風だよ」
「よし、ぼく風をつかまえてくる」
ダヤンが風を追いかけていくと、風は向きを変えてダヤンを押し戻し、ダヤンのまわりに小さなつむじ風を起こしました。
つむじ風はからかうようにダヤンのまわりをくるくるまわり、すっかり目のまわってしまったダヤンは、トムの足元までふらふら戻ってくるとパタリと倒れこみました。
つむじ風はしばらくダヤンの後を追ってきましたが、やがてつまらなそうにどこかへ行ってしまいました。
トムはダヤンをなめてやりながら<この子はちょっと変わってる、それはいいことなのかしら、悪いことなのかしら>と考えていました。
子猫たちの遊んでいる庭は、細い坂道に面していて、その坂を下るとすぐ大きな通りにぶつかります。
トムは車のはげしい大きな通りに行ったことはありませんが、逆に坂を登っていった周辺は、のら猫時代からの縄張りでした。
トムは子猫たちに、とくと言いきかせました。
「いいかい、おまえたち。庭から先へは、ぜったい出てはいけないよ」そして、庭をかこんでいる生垣のまわりをぐるっとまわって、何度も念を押しました。「この中で遊ぶんだよ。いいね」
子猫たちは、神妙にお母さんを見上げ、ニャアとなきました。

*ちょこっと秘話! by 池田先生
ダヤンのお母さんのトムのモデルはうちの猫のらんちゃんです。
らんちゃんは頭が良くて、遊び好きなすごく面白い猫。
だけど、今はあったかくなると家出して、ちゃっかりよそんちの猫になって、
白ちゃんと呼ばれたりしています。そうして冬になるとうちに戻ってくるの。
猫話やブログでも度々紹介しています。

「ひいひいおばあちゃん」

「そうだ、今日はおばあちゃんを驚かせることがあるんだ」
リーマちゃんは勇んでドアを開け、まっすぐ台所に行って、真中においてある大きなテーブルの上に、ダヤンを入れたバスケットを置きました。
スープを煮ていたおばあちゃんは、くっくっと笑って言いました。
「おや、リーマ。おみやげかい」
「うん、おみやげだけどあげるんじゃなくて、見せてあげるの」
おばあちゃんがバスケットの蓋をそうっと開けると、目を覚ましたダヤンが顔を出し、一瞬おばあちゃんとダヤンは見つめあいました。
お母さんのトムと一緒で、家族以外の人間はおおむね気に食わないダヤンですが、おばあちゃんのことはひとめ見るなり気に入って、のびあがってあばあちゃんの匂いを嗅ぎました。
くんくんくんくん嗅ぎまわって、合格のしるしに鼻をひとなめすると、おばあちゃんはまたくっくっとうれしそうに笑って言いました。
「久しぶりだね、ダヤン。
もちろん私を覚えちゃいまいね。
あんたと会うのは、もっとずっと前で、ずっと後だもんね。
あんたの目は変わらないね。
とってもいい目をしているよ」
リーマちゃんはそれを聞いて、<パパたちがおばあちゃんのことを変わり者だって言うのは、ほんと無理ないな>と思いました。
それにしてもおばあちゃんはなぜダヤンの名前を知っているのでしょう。ママが話したのでしょうか。
そしておばあちゃんは、居間の窓辺に真っ白いテーブルクロスを掛けた食卓をセットしていました。いつもなら台所のあの大きなテーブルで、気軽におしゃべりをしながら食べるのに。
「今日は特別なお客さまだからね」
それからおばあちゃんは、白いテーブルクロスの上に3つのお皿を並べ、そのひとつをダヤンにすすめました。

「12月17日」

雪はますます降りしきり、おまけにどんどん細かくなっていって、雪の中にいるのかそれとも白い霧に包まれているのか、分からないほどになってきました。それなのに、不思議と寒くはありません。
ダヤンの行動半径はもう広くなっていて、この坂道もなじみの散歩コースです。
坂を登りきると、道はT字に突きあたります。いつもはそこを右に折れて家の裏手を通り、また庭に戻ってくることにしています。
ですから、見える物といえばたがいちがいに繰りだしていく自分の前足と、それのつける足跡だけになってしまっても、格別あわてることはありませんでした。
それでもダヤンは、耳を立て、ひげをピンと張って、用心しながら進んで行きました。
どうもおかしな様子です。
いつもならもう突きあたっていいはずの道が、どこまでも続いているようなのです。
そろそろ引き帰したほうがいいのかしらんと思いかけたとたん、前方がほわんと明るくなりました。そしてそちらの方角から、何やら楽しげな音楽が聞こえてきました。
<これはまったくあやしいぞ。怖い目にあいたくなければ、さっさと引き返せ>という気持ちと、<あれは何だろう。急いで行って確かめなくちゃ>という気持ちが心の中でけんかをはじめましたが、とうと好奇心が勝ちをおさめ、ダヤンはむしろとっとと早足になりました。
音楽はもうはっきりと聞こえ、笑い声や、「ヨールクラップ ヨールクラップ」という掛け声も聞こえます。

*ちょこっと秘話! by 池田先生
ダヤンが坂を登ってヨールカの扉に引き寄せられていくシーンは自由が丘の店の横にある坂がモデル。
自由が丘の大家さんが写真家で、雪の日に撮ってくれた美しい写真を見たときに「あっ、これだ!」と感じました。
その写真がダヤンをわちふぃーるどへ連れて行く道を教えてくれたのです。

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