猫描く人たち

猫を描く人は多い。そりゃそうだ、だって猫は姿も動きもほんとに良く出来ているもの。しなやかでなめらか、ユーモラスで哲学的、口の端がくるりと巻いて笑っているようなのに沈うつな表情の微妙なバランス、日なたの匂い、のびぐあい・・・・・猫をほめあげればきりがない。
だけどなによりのポイントはどこにでもいてただで見られることじゃないかしら。竜や狼だってすてきだけれど、生で見たりさわったりはなかなかできない。私だってうちに猫がいたから迷わず主人公を猫にしたわけで、狼がいたら狼を主人公にしたかもしれないし、小ぶりの竜を飼っていたなら竜を主人公にしてスピード感のある冒険物語を書きベストセラーになっていたかもしれない。
いや、もし小ぶりの竜がいたならそんなことをしないで芸でもしこんで都知事の大道芸免許を取り、公園で火を吹いてやんやの喝采と帽子いっぱいの投げ銭・・・・・まてよそれより・・・・・いやこんなことを言いたかったわけではない。いかに猫が昔から人のそばをうろうろして、人を魅了し創作意欲を掻きたててきたかを言いたいのだ。
江戸時代の浮世絵師に歌川国芳という人がいる。この人も大層な猫好きだったらしく「猫飼好五十三疋」という広重の「東海道五十三次」をもじったすごく愉快な絵を残している。最後の京は猫に咥えられたねずみの悲鳴で「ぎゅう」というような地口、いわば駄洒落で構成されているのだが、猫の姿は飄逸でふてぶてしく、思わず笑ってしまう。色彩も美しい。
美大に通う舞子はいつからか国芳にすっかり傾倒し、模写をしたり課題では国芳調猫で地口をつくったりしてきた。「今度はアニメを作るんだ。六百枚描いたけどまだ足りない」
その気の遠くなるような作業に取り組む舞子の食卓にらんちゃんが飛び乗ってきた。らんちゃん、描きかけの猫たちの上にどっかりと座り込む。猫っていつもそう。私がうちで仕事してる時も紙の上に座りこんだり、あげくは絵の具のついた足で歩きまわって創作活動に参加したりしていた。だけどしかたないね。だって猫描くひとのそばに猫。そういえば猫と描くって似てません?

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